熱帯飼育。
完結済。
12.松本 紀壱の策略。 「で、ですが日向様!!私にも…」 「…退け。」 薄明かりの理科室からは、中から何か深刻な声が聞こえていた。 ひとつは哀願するような細い声と、もう一方はいかにも気だるそうに答える声。 廊下には、一人取り残され困惑しきった顔の後藤君がまだそこに居たが、帰ろうか悩んでいた所だった。 暗い廊下の床に、微かに洩れた理科室の明かりに気付き、少し気になって見ていた、その時。 理科室のドアが勢いよく開くと、中から凄まじい表情で暴言を吐く、松元さんが出てきた。 「…おのれ…許すまじ、守山 湊…!!…撲滅っ!!」 とても聞き捨てならない言葉だったが、後藤君はさっきの事を思い出してしまい、声をかける事をためらった。 しかし、さっきの僕の態度といい、後藤君の頭の中は気になる事だらけで無視する事が出来ない様だった。 覚悟をしてかけた声は、緊張して少し上ずってしまっていた。 「おい!っ!?ん…ぅん!ごほ。アンタ…今、湊がどうしたって言ったんだ?」 後藤君の声に一瞬体をびくつかせ、嫌悪感露わに彼は振り向いたが、後藤君一人の姿を確認すると、急に平静を装いながら話かけてきた。 「…君、まだ居たのか…。…所で、守山君の姿が無いが…・・・彼はもう帰ったのか?」 いつもと変わらない様に見せながらも、明らかに探る様な松元さんの態度が後藤君に不信感を抱かせた。 「…答えになってねぇ。アンタら…また湊に何かするつもりじゃねぇだろうな?」 「…。」 廊下がしんとする。 が、後藤君は次の瞬間、思いもよらない行動に出て、その静寂を壊した。 「…っ!俺が直に聞いてやる!!退け!」 答えないなら無理にでも理科室に入ってやると言わんばかりに、前に居る松元さんを押し退けた。 「!!止め給え!日向様は只今研究中だ!!」 慌てた松元さんは力一杯、後藤君を押し戻しその動きを止めて、思わず叫んだ。その言葉に後藤君は目の色を変えて聞き返した。 「…研究…だ?…一体何の!?関係あんのかよ!?」 厳しい顔付きで問いただし、問いかけに答えなければ又も強硬な手段を取るであろう事は明らかだった。 松元さんは半ば諦めた様に、その硬い口元を口惜しげに開き始めた。 「…守山 湊を完全体にする為の新薬の研究ですよ…。」 「…は?何だよ完全体って…分かる様に説明しろよ!」 後藤君は嫌な予感がした。しかし、それは的中していた。 松元さんは溜め息を浅く吐き語り始めた。 「日向様は…ずっと、人をコントロールする事の出来る薬の研究を続けてこられて…その試薬を投与したんですよ、…守山 湊にね。 まぁ…簡単に言えば、この薬をは始めに見た人を好きになってしまう…一種のすりこみですかね。…しかし問題が…。」 自身たっぷりに話していた松本さんの顔が曇った。 「…っ!?てめぇら!?なんて事してんだ!!問題ってなんだよ…!!?」 「…そう。重大な問題ですとも…日向様が…あ、あんの糞ガキに…!本気で興味が湧いた等と、御自分を見失いに…!!… 私めはあんなにも忠誠の程を示し尽くしてきたというのに…!!」 松元さんの言葉は、怒りと悲しみにわなないている。 自分が崇拝してきた日向先生の興味が奪われてしまった事の、彼の悲嘆さを体中で表していた。 「い…あ、あのさ・・・アンタの事情はともかく…。湊は、その実験に使われたのかっ!?なぁ!元に治せるんだろっ!?」 後藤君の問いかけに松元さんは、力無く崩れ折れた首を微かに縦に揺らした。 「…先程、守山 湊に投薬した薬は完全品ではない…。だから、その効果は後十時間程で切れる筈です。 それまでに完全品を摂取しなければ彼は元には戻ります…。しかし日向様がどれだけの速さで完成させてしまうか…。」 それを聞いた後藤君は焦り、慌ててより理科室へと入り込もうとした。 「早く!日向を止めるぞ!!」 しかし松元さんは又もその行動を必死で止め、真剣な面持ちで諌めた。 「!ま、待ちなさい!私が止めても無理だったというのに、君如きが入って行った所でどうなるというのです! …それに科学を愛する者として強行阻止は私の美学にそぐいません。…お聞きなさい…私に良い考えがあるのですが…。」 そう切り出した彼の表情には、一つの妖しい輝きがあった。 その引き込む様な雰囲気に、後藤君は思わずギクリとし、首筋に冷たい物が伝う感覚がした。 「…彼…守山君が今何処に居るのか…知っていますか?」 ここにきて突如、僕の方へ話が向いた事に後藤君は胡散臭く思い、慎重にその意図を計ろうと尋ねた。 「…湊…、いや、何でそんな事聞くんだ…?」 自分が不信に思われている事を察知した松元さんは、不敵に微笑を浮べて眼鏡を直し言った。 「…後藤君…彼は未だに自分の置かれている危険な境遇を知らずにのうのうとしているのですよ…?日向様がいつ、 何にも知らない彼の元へ薬を与えに行っても、まんまと上手く受け入れてしまうのは時間の問題…。あー…確か副作用で 記憶も曖昧な状態でしょうし…。そんな可哀想な守山くんを守る…否、救えるのは、今は私達だけではないのですか…? 君は、守山君を救い、私はご自身をお見失いになられた、日向様の目を醒まさせたい…利害は一致してるとは思いませんか…?」 後藤君はその松元さんの言葉に、すっかり納得してしまっていた。 彼が過去の仕打ちの加害者であった事も忘れてしまっていた。 「…そ、そうだな…。湊は知らないんだ…!早く教えなくちゃヤバイ!!きっと…蘭を戻しに温室には寄ってる筈だ!まだ居るかも!急ごう!!」 後藤君はすっかり気が緩んでさっき迄の警戒を忘れていた。 松元さんが理科室から出てきた時の、始めの言葉を…。 この行動の意図が松元さんにとって、"天誅"と言う名の計画だった事とは気付かずに、後藤君と松元さんの二人は温室へと急いだ。
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